天神祭は一千余年の伝統を誇る日本屈指の祭典です。日本各地の菅原道真を祀る天満宮で行われる祭りで、大阪天満宮の「天神祭」(てんじんまつり・てんじんさい)は、日本三大祭りの一つ(東京の神田祭、京都の祇園祭)といわれ、大阪三大夏祭りの一つ(愛染祭、住吉祭)でもあります。毎年、24日宵宮、25日本宮が催され、25日夜には奉納花火が上がり、たくさんの人たちで賑わいます。
25日15時半より、神霊を奉安する御鳳輦を中心に、前後を地車、神具、牛車、旗、鉾などが供奉して氏地を巡回する陸渡御(りくとぎょ)が大阪天満宮より出発します。総勢3,000人余りの大行列が大阪天満宮から西天満地域~御堂筋~中之島を経由し、天神橋北詰めの乗船場まで進みます。
夜には、大川(旧淀川)に100隻あまりの船が行き交う船渡御(ふなとぎょ)が行われ、奉納花火が夜空を彩ります。大川に映る篝火(かがりび)や提灯灯り、花火などの華麗な姿から“火と水の祭典”とも呼ばれています。
大阪天満宮が創祀されたのは、平安時代後期の天暦3年(949)のことです。一夜のうちに七本の松が生え、夜ごとに、その梢は金色に光り輝いたというのが創祀の由来です。当代の村上天皇は、これを菅原道真公に縁りの奇端として当地に天満宮を造営され社領として周辺の七ヵ村を遣わされました。その当時、都では落雷や疫病の流行などの天変地異が度重なり、人々はこれを配所で非業の死を遂げられた道真公の怨霊によるものと考え、その霊を鎮めるために「天満大自在天神」としてお祀りし、「天神信仰」が始まりました。
(ほこながししんじ)
大阪天満宮が創祀された翌々年の天暦5年(951)には、鉾流神事が始まります。鉾流神事とは、社頭の浜から大川に神鉾を流し、漂着した場所にその年の御旅所を設ける神事で、御旅所とは御神霊がご休憩される場所のことです。この御旅所の準備ができると御神霊は陸路で川岸まで出御、乗船して大川を下り御旅所へ向かうルートを辿りました。この航行が船渡御で、天神祭の起源とされています。当時は旧6月に鉾流神事が行われ、6月25日に船渡御が行われたといいます。
室町時代の宝徳元年(1499)の公家、中原康富の「康富日記」には7月7日に天神祭が行われたとの記録も残っており、また、戦国時代の公家・山科言経の日記「言経卿記」では、天正十四年(1586)6月25日に天神祭が記録されています。菅原道真の生誕の日にちなんで旧暦の6月25日に変更されたといわれます。(明治11年、太陽暦の採用で7月25日に変更)
なお、江戸初期の御旅所の常設にともない鉾流神事は中止されましたが、昭和5年(1930)に古式にのっとって復活しました。現在では7月24日朝に旧若松町浜(天満警察署前)で斎行される鉾流神事は当初と同じく、天神祭の幕開け行事となっています。
天神祭を支えている大きな力となっているのは、「講社」とよばれる奉仕組織です。講社は江戸時代からの伝統を引き継ぐもの、戦後にできたものなど歴史はさまざまで、時代によって増減があります。現在は20余りの講社があり、芸能や渡御への参加、花火など、それぞれが祭礼に奉仕する役割を担っています。