福梅講ふくうめこう

牛曳童児が引くのは、道真公のお使い大神牛

福梅講は、大阪天満宮の東側に位置する旧此花(このはな)町を中心に、近辺の氏子で構成されています。21名の講員を中心に、天神祭の渡御列では講に縁のある子どもたちも牛曳童児としてご奉仕しています。

福梅講はまた、天満宮境内にある末社「白米稲荷社(しらよねいなりしゃ)」へのご奉仕も行います。白米さまが関わるお祭りで裏方のお手伝いや、お正月には天神筆の販売を行うなど、1年を通してご奉仕の機会の多い講です。

天神祭では、華やかな緑と赤の衣装をつけた牛曳童児が、道真公の御使いである大神牛を曳いて陸渡御の列に加わっています。船渡御では福梅講の供奉船(ぐぶせん)を運営し、天神様の神霊船にお供します。例年200名以上が乗船する供奉船を心を込めて運営し、講員は船上で祭りのガイド役も務め乗船者を楽しませています。なお牛は船には乗らず、天神橋近くにて宮入までひと休みします。

福梅講の歴史

福梅講が成立したのは、戦後すぐの昭和24(1949)年のことです。2番目に新しく結成された講で、令和6(2024)年に75周年を迎えました。

旧此花町在住であった小坂弥之助氏が白米稲荷社を篤く信仰していたご縁から、当時の寺井種長宮司より「天神祭渡御の華やかさを取り戻すために新しい講を組織してほしい」というお申し出を受け、小坂氏を初代講元として福梅講を結成。当初は茅輪と唐櫃を奉じて天神祭に供奉(ぐぶ)していました。翌年度より旧川崎東照宮ゆかりの「葱華輦(そうかれん)」を奉じての供奉が数年続きましたが、三つ葉葵の御紋の入ったお神輿が大阪に馴染まず、昭和32(1957)年頃より現在の「牛曳童児」での供奉となり、現在まで続いています。

講元からのメッセージ
講元:水木 一裕

われわれ福梅講では、本年は万全の体制で天神祭を迎えられそうです。
昨年は疾病によるお祭りの休止から、3年ぶりの陸渡御・船渡御・奉納花火となりました。従来の姿に戻って天神祭が開催されるにあたり、数年間の空白による不安の中で、講員みな準備や手配に戸惑いがありました。手探り状態ながら協力し、現状に合わせて変更が必要な点に改善を加え、無事福梅講としてご奉仕が叶いました。
そして迎えた今年、福梅講員一丸となってこの伝統ある天神祭を盛り上げるべく、微力ながら精一杯ご奉仕してまいります。
福梅講がそして天神祭が、今後10年、100年、いや1000年、末長く脈々と続いていくことを願っております。

※福梅講の供奉船へご乗船をご希望の方はお問い合わせくださいませ。
福梅講 事務局(FAXのみ)
FAX 06-6465-0753

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