地車講じぐるまこう

天神祭の象徴、三ツ屋根だんじり

天神祭のにぎわいを代表する祭具の一つが、大阪天満宮所有の三ツ屋根の地車。この地車を運営するのが、天満市場商業協同組合を母体とする「地車講」です。

地車は一般に「だんじり」と呼ばれ、西日本の祭で広く使われています。地車は、段差のある2棟造のものが多いのですが、地車講の地車は3棟造の全国でも珍しい構造です。この通称「三ツ屋根だんじり」は天神祭を象徴する特別な存在です。

江戸時代の享保年間から明治にかけて、大阪天満宮には多いときで大阪各地から80台を超えるだんじりが宮入したという記録が残っています。現在は地車講の曳く三ツ屋根だんじりだけが曳行および宮入します。

嘉永5年(1852年)に制作された地車は、令和4年(2022年)に170年ぶりに新調されました。当時の設計図が残っていないため、新調にあたっては、もとの地車を分解して調査した結果、くぎを使わないなど江戸時代の工法が再現されています。

川御座船から生まれた地車

地車が生まれたのは、江戸時代の享保年間(1716~36年)のこと。由来は、「川御座船(かわござぶね)」と呼ばれる船だといわれています。幕府や諸大名が大川に浮かべた豪華な川御座船は、歌舞音曲や寸劇が披露される移動式の舞台でもありました。地車はこの船をモデルに造られ、世代を重ねるうちに社寺建築の工法が取り入れられて現在の形となりました。地車に波模様の彫刻が入るのは、船が原型である名残りといえます。

江戸時代「天満青物市場」は、堂島米市場と雑喉場市場とならぶ「大坂三大市場」の一つでした。天満青物市場は江戸時代から地車を所有し大阪天満宮に奉納しており、現在の地車講につながります。

講元からのメッセージ
総代:河部 宏之

天神祭での地車講の役目は、地車の曳行と地車囃子。講の人数は約100人ほどで、現在は市場の関係者だけでなく、他の地域の人なども参加しています。今後は、さまざまな人を受け入れ、もっとオープンな講にしていきたいと思っています。

また、去年から23日の前夜祭に、天満宮を出て天満市場方面への地車曳行を行っています。
ただ、商店街には地車が通れないところがあるため、少しコンパクトな担ぐだんじり、「かきだんじり」を造ろうという話になりました。今年の祭に登場しますので、みなさん楽しみにしてください!

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