供船講は船渡御の際、砂船を提供する講社で、大阪府淀川土砂採取協同組合が主体です。船を提供する講社の中でも歴史が古く、明治末期から砂船を提供しています。
砂船とは「土砂採集船」のことで、船長が操舵する自走船。昭和28(1953)年頃は「砂船講(すなふねこう)」という名で、個人事業主が個々に奉仕していました。その後、昭和58(1983)年には同組合が運営する供船講へ移行し64年目になります。
講社名の由来は、鳳講・吉備講・丑日講・御羽車講・篝講の五講に「供奉船(ぐぶせん)」を供していたことだとか。現在は「鳳(おおとり)」「御羽車(おばぐるま)」「篝(かがり)」講の各船、そして踊り子たちを舞台船まで運ぶ「通船(つうせん)」の5隻を提供しています。
昔は100隻以上の砂船が行き交い、1週間かけて道頓堀まで船渡御行列を行っていました。今から20年程前、時代の変化に合わせ砂船も木造船から鉄船へと変化します。同じ頃、船渡御のルートも大きく変わりました。
それまで全ての船は天神橋のたもとから出ていました。船体も大きくなり、飾りつけも増えたこともあり、最も低い「桜の宮橋(銀橋)」を通るため、船を減速する必要があったのです、そのため、船が大渋滞に。そこで当時の供船講の講元が提案し、上流と下流の両方から船を出す現在のルートに変わります。
船渡御は1日限りの祭事です。祭り当日には、天候や参加する人員など様々な要素があり、運航表どおりには進まないもの。そんな時も、臨機応変に対応できる経験と操船技術が大切です。
御羽車講や鳳講の船は宮入の時間が決っているため、スケジュールもタイトです。安全でスムーズな船の進行が求められるので、供船講では熟練の船長しか船を出しません。
そのため供船講でご奉仕できる隻数も少なくなっているものの、日本三大祭「天神祭」をこれからも継いでいきたいですし、歴史ある祭事のお手伝いをさせていただけることを大事にしていきたいと思います。2024年から講元に任命されたばかりですが、これからも祭りを絶やさぬよう、後継の育成に頑張って参ります。