御羽車講おはぐるまこう

浪速っ子の心意気で天神祭を盛り上げる

御羽車講は、天神橋筋商店街の2丁目から6丁目の各町会代表が務める役員30名を中心に、各商店会の町会員からなる講です。御神霊をお運びする役割を持つ4つの講の1つで、道真公をお運びする乗り物が御羽車です。

御羽車は宮中で神器を祀る内侍所の遷幸用と、諸社の遷座の際に御霊代をお遷しするもので意匠が異なります。大阪天満宮の御羽車は、端の反った欄干を巡らした床に轅という牛をつなぐ2本の棒を付けた黒塗りの輿です。天神祭に際して道真公の御神霊がお遷りになり、天神橋筋商店街を巡行し神事が行われるほか、宵宮、本宮では渡御列に参列。陸渡御では白丁装束の担ぎ手と輿、その後ろに講の名入り高張提灯と講員が続きます。船渡御では例年、御神霊を戴く奉安船とお客さまのための供奉船を運航してご奉仕します。

御神霊を運ぶ輿に手を合わせることは、大阪天満宮へお参りするのと同様であるといわれます。

天神橋筋商店街の「御羽車講」誕生まで

大阪天満宮の御羽車に関する最も古い史料は文政4(1821)年のもので、正遷宮のために檜材の御羽車を新調したという記録が残っています。江戸時代の天神祭では御神霊の渡御に鳳神輿と玉神輿が使われていたため、御羽車はそれ以外の遷座用であったようです。

明治期に御鳳輦が登場し御羽車は一旦その役目を終えますが、戦後の天神祭復興の機運の中、天神橋筋五丁目の中辻喜十郎氏、六丁目の岡本氏、三丁目の前川氏らの発議から、昭和24(1949)年に御羽車講が結成されます。同年に滋賀県大津市の日吉神社より大阪天満宮を経て御羽車を譲り受け、渡御列に奉仕するようになりました。

その後、昭和32(1957)年に装飾用の錦旗を新調、昭和45(1970)年には台車を誂え氏地巡行へ供することになりました。令和元(2019)年には全面的な修繕を行い、受け継いだ御羽車を現在まで大切に守っています。
また昭和50(1975)年からは女性だけの御輿巡行、通称「ギャル御輿」を発足し、先導を行なっています。

講元からのメッセージ
講元:田中 誠一

歴史ある天神祭は、商都大阪が誇る日本屈指の祭典です。
お祭りに参加される方、お祭りを楽しまれる方、たくさんの皆さまにご参加頂けますよう、各講社の方と力を合わせ天神祭の行事へのご奉仕に努めたいと思います。

浪速っ子の根性と心意気で天神祭を盛り上げてまいります。殊に暑いこの夏、どうぞお気をつけてお祭りにご参加くださいませ。
またお買い物、お食事は、日本一長い天神橋筋商店街をご利用ください。

※御羽車講の供奉船へご乗船をご希望の方はお問い合わせ下さい。
天四北商店街事務局
tenshikita@voice.ocn.ne.jp(@は半角に書き換えてください)

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