鳳講おおとりこう

鳳凰を頂く伝統ある神輿

鳳凰(ほうおう)を冠した勇壮な「鳳神輿(おおとりみこし)」を担ぐのが、古くから天神祭を支える講の一つ、鳳講です。講を構成するのは、地域の町内で結成される菅南(かんなん)連合で、祭に参加する講員は担ぎ手や運営の役員を含め約300人。その昔は菅南八町会(かんなんはっちょうかい)といわれ、鳳神輿、玉神輿の神輿を守る氏子組織がもとになっています。

鳳凰が意匠に使われている理由は、菅原道真公が大宰府に旅立つ際のエピソードが由来だという説があります。親戚の家に立ち寄った道真公が、鶏の声に追い立てられるように出発し、別れを惜しみました。そんな道真公の悲しみを思い、大阪天満宮では鶏を避けているのです。

祭の発祥に関わる野見宿禰(のみのすくね)

天神祭の始まりは、大阪天満宮に菅原道真公が鎮座された天暦3(949)年から2年後の天暦5(951)年、疫病退散を願って始められた「鉾流(ほこながし)神事」が起源といわれています。天神祭に神輿が出るようになったのは、10世紀末に京都で行われた御霊会(ごりょうえ)に神輿2基が出御した故事にならってのことです。その神輿が、鳳神輿と玉神輿の2つの神輿で、天保8(1837)年、大塩平八郎の乱により焼失しましたが、天保11(1840)年に復活し現在に伝わります。

鳳神輿には、菅原道真公の祖先にあたる野見宿禰がお乗りになられ、行列を守ります。野見宿禰は埴輪など土器を手掛けた土師氏(はじし)の祖であり、天神祭の発祥のころ、鉾流神事で流す祭器を作った一族とも伝わります。

講元からのメッセージ
講元:宮本 善樹

祭の継承で大事なのは、本来の伝統を守ること、そして必要に応じて新しく変えていくことです。天神祭の長い歴史のなかでも、何度も時代に合わせて新しい試みが行われ、それが定着して新たな伝統となってきました。今年からの新しい試みとして、25日だけでなく24日も神輿が登場します。やがてこれも伝統となっていくはずです。「日本三大祭」の一つである天神祭は、国内屈指のパワーあふれる祭です。これからも各講社とともに、祭を盛り上げ、皆さんに喜んでいただけるよう努力していきます。

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