船渡御で船がすれ違う時など、祭り中、あちこちで行われる大阪締め(おおさかじめ)。
大阪締めは大阪を中心に行われている手締め(日本古来の風習の一つで、物事が無事に終わったことを祝い関係者が掛け声とともに打つ手拍子)で「手打ち」ともいいます。
「打ちまーしょ」でチョンチョンと2回手を打ち、「もひとつせ〜」でチョンチョン、 最後に「祝うて三度」でチョチョンがチョンと打って締める。
関西では、お祭りの時以外の証券取引所や経済会合でもこの大阪締めが用いられ、浪速の商人には欠くことのできない習慣です。
諸説がありますが、大阪締めの発祥は生国魂神社の例祭で用いられていた囃太鼓に合せた手締めの簡略バージョンが天神祭を通じて現在の大阪締めになったといわれています。
ちなみに、発祥の生国魂神社の掛け声が5つなのに対して、天神祭の手締めの掛け声が3つである理由は、船渡御の際の川の流れが速くて船がすれ違う時間内に間合わなかったからとも伝えられています。
軽快な地車囃子(だんじりばやし)にのって踊る「龍おどり」。7月24日の宵宮には、大阪天満宮境内で見ることができます。
その名のように、龍が天に昇る様子を模しています。天神祭独特の踊りでその動きは前傾姿勢で肩から指まで巧みに動かし、まるで龍や蛇が身をくねらせているように踊るのが特徴です。
龍になりきったかのような踊りは決まった振付があるわけではなく、個々の感性のままに音に身を任せるそうです。
その発祥は、はっきりとはわかっておらず、明治時代にはすでにあったことから、それ以前から踊られていた可能性もあります。踊りには「龍」と「狐」の2種類がありますが、現在天神祭では地車講による龍おどりのみが行われています。
さまざまな地域の祭で行われている龍おどりは、天神祭から各地に広がったものだと伝えられています。
御旅所周辺の氏地から出された伝説の英雄などをモデルにした等身大の人形です。神様をいさめるために船首に飾り、船列を組んで大川を遡り、船渡御の船列を迎えました。人形芝居の影響を受けて、享保(1716〜36)頃には大型で精巧な人形が登場したとされています。
多くの絵画にその船上での姿が描かれ、かつては天神祭を華やかに彩る大きな要素でした。昭和初期の記録では、20躯の人形が現存し、毎年交互に8躯ずつ祭礼に出されていました。また幕末の刷り物などによれば、天神祭のほか、正遷宮(しょうせんぐう)や祭神菅原道真の年忌などの折に道筋に飾られることもあったようです。災害などで失われたものもありますが、現存する14躯の御迎人形は、昭和48年(1973)、大阪府の指定文化財となり、毎年境内に数体が飾られています。